つねにベストを尽くすこと 4つの約束の4つ目 〜トルテックの教え〜



最後に一つ、約束が残っている。これは、今までの3つの約束を本当に身についたものにするためのものである。第4の約束は、最初の3つの約束を行動に移すものである。それには、どんな状況下であっても、「つねにベストを尽くすこと」である。それ以上でも以下でもなく。しかし、覚えておきたいのは、あなたのベストは、瞬間によって違うということである。あなたのベストは、ある時には高い質を持っている。別の時には、それほど高い質を持ってはいない。幸福な時と、混乱して、怒り、妬きもちを焼いている時とは違う。

あなたの毎日の気分によって、あなたのベストは瞬間、時間、日にちによって、変化する。あなたのベストは、時間によって変化する。あなたが4つの約束を習慣づけることで、あなたのベストは、今まで以上のものとなる。

たとえ、その質がどうであろうと、ベストを尽くすことである。もし、ベスト以上のことをやろうとすれば、あなたは必要以上のエネルギーを費やすことになり、結局、ベストではなくなってしまう。やりすぎれば、あなたは体を害し、より長い時間を自分の目標を達成することに費やしてしまう。しかし、ベスト以下しかしなければ、あなたは自分に不満を抱き、自己批判をし、罪の意識や後悔の念を抱く。

ただベストを尽くすことである。どんな状況でも。あなたが疲れていようが、病気であろうが関係ない。ベストを尽くしていれば、あなたが自分自身を裁くことはなくなる。そして自分を裁くことがなければ、罪の意識を抱くことも、自己処罰をすることもない。いつもベストを尽くすことで、あなたは自分がかかっているまじないを破ることができる。

ベストを尽くすことで、あなたは人生を強烈に生きることになる。あなたは生産的になる。あなたは、自分自身に対しても良くなる。なぜならあなたは、自分を家族、コミュニティ、その他全てのことに与えているからだ。しかし、行動のみが、あなたを強烈に幸福に感じさせるのである。常にベストを尽くしていれば、あなたは行動する。ベストを尽くすということは、行動することであり、それはあなたが行動を愛しているからであって、報酬を求めているからではない。ほとんどの人は、こうではない。彼らが行動するのは、報酬を求めるためで、行動そのものが好きだからではない。そのため、彼らはベストを尽くすことができない。

報酬を求めるためではなく、そのことをやることだけのために行動するのであれば、あらゆる行動が楽しくなる。報酬は得られるが、それは結果としてであって、あなたは報酬には執着していない。報酬を期待していないと、実際にあなたが受け取る報酬は自分で良きしていたものより大きくなる。

自分のやることが好きであり、ベストを尽くしていれば、人生は楽しくなる。私たちは楽しみ、退屈せず、不満を感じない。

ベストを尽くしていれば、あなたは自分自身を受け入れ始める。しかし、あなたは、いつも自分の間違いに対して、気づき、そこから学ばなければならない。間違いから学ぶということは、それを実践し、結果から学び、さらに実践を続けるということである。これが、あなたの気づきの力を高める。

ベストを尽くす時、あなたは仕事をしているとは感じない。何をしようと楽しめるからである。自分がベストを尽くしているとなぜわかるかと言えば、そうしている時には、自分がしていることを楽しみ、そこに否定的な反応が感じられないからである。あなたはベストを尽くす。それは、あなたが望むからであり、しなければならないか、他の人を喜ばせるためにするので
はない。

しなければならないから行動する時は、ベストの尽くしようがない。それならば、やらないほうがよい。あなたがベストを尽くすのは、ベストを尽くすことがあなたをとても幸福にするからである。ベストを尽くすこと自体が楽しい時、あなたは、その行動を楽しんでいる。

行動するということは、十分に生きることである。行動しないということは、人生を否定することである。行動しないということは、テレビの前に毎日、何時間も座り続けることである。あなたは、生きること、自分自身を表現するリスクを負うことがこわいのだ。自分自身を表現するということは、行動するということである。あなたは、頭の中にいろいろ立派な考えを持っているかも知れないが、しかし、実際に違いを生み出すのは行動である。考えをもとに行動に移さなければ、そこには結果も報酬も現れようがない。

行動するということは、生きることである。それは、外の世界に出かけていき、自分の夢を表現するというリスクを負うことである。これは誰かに自分の夢を託すというのとは違う。なぜなら、誰もが自分の夢を表現する権利を持っているからである。

ベストを尽くすというのは、身につけると良い習慣である。私は、自分のおこなうこと、感じることにベストを尽くす。ベストを尽くすことは、私の人生の儀式になっている。私が、そのような選択をおこなったからである。それは、他の全ての信念と同じように、自分が選んだ信念である。私は、全てのことを儀式とする。したがって、私は全てのことにベストを尽くす。シャワーを浴びることは、私にとって儀式である。この行動によって、私は自分の体に愛を伝える。私は、体に流れる水を感じ、楽しむ。私は、自分の体の欲求を満たすためにベストを尽くす。私は、自分の体に与えること、体から受け取ることにベストを尽くす。

インドでは、〈プジャ〉と呼ばれる儀式がおこなわれる。この儀式では、様々な形を取って現れた神を象った偶像に、水浴させ、食事を供え、愛を捧げるのである。こうした神に対してマントラを唱える場合もある。偶像が重要なのではない。重要なのは、儀式をおこなうこと、「神よ、あなたを愛しています」と言うことそれ自体なのである。

神とは生命である。神とは、行動している生命である。「神よ、あなたを愛しています」という1番良い言い方は、ベストを尽くして、あなたの人生を生きることである。「神よ、ありがとうございます」という1番良い言い方は、過去を洗い去り、現在、今、ここに生きることである。人生が、あなたから何を奪い合う去ったとしても、なすがままにさせておけばよい。あなたが、過去を明け渡し、流し去ったとき、あなたは本当に現在に生きることができるのである。過去を流し去れば、あなたは現在、ただいまの夢を楽しむことができる。

過去の夢に生きれば、現在、ただいまの夢を楽しむことができない。あなたは、いつも現在がこうでなかったら、と望むからである。現在、ただいま起きていることを楽しめないのは、過去に生きているからであり、半分しか生きていないからである。それは、自己憐憫、苦悩、涙をもたらす。

あなたは幸福になる権利を持って生まれてくる。あなたは、愛し、楽しみ、自分の愛を分かち合う権利を持って生まれてくる。あなたを通して現れる人生に抵抗しないほうがよい。なぜなら、それは神があなたを通して現れているからだ。あなたの存在自体が、神の存在を証明している。あなたに存在が、人生とエネルギーの存在を証明しているのだ。

私たちは、なにも証明する必要はない。ただ、あるがままで、リスクを負い、人生を楽しむこと。それだけが必要なのだ。ノーと言いたい時には、ノーと言い、イエスと言いたい時には、イエスという。あなたは、ありのままのあなたである権利がある。そして、あなたがありのままのあなたであるのは、ベストを尽くしている時である。ベストを尽くしていない時、あなたはありのままでいる権利を否定しているのである。このことを良く心の中にとめておくとよい。知識や偉大な哲学的な概念は必要ではない。あなたは、生きることによって、自分と他人を愛することによって、自分自身の神性を表現する。それは、「あなたを愛している」という神の表現なのだ。

最初の3つの約束は、あなたがベストを尽くした時のみうまく働く。いつも「正しい言葉を使うこと」ができる、などと思わないほうがよい。あなたのこれまでの習慣は、非常に強く、しっかりと心に刻まれている。しかし、あなたはベストを尽くすことはできる。また、いつも「なにごとも個人的に受け取らないこと」ができる、などと思わないほうがよい。しかしベストを尽くすことはできる。また、いつも「思いこみをしない」ということもできない。しかしベストを尽くすことはできる。

ベストを尽くすことで、言葉の誤った使い方、全てを自分のこととして受け取ること、思いこみをすることなどは、弱まっていくし、また、滅多にしなくなる。これらの約束を守れなくても、あなたは、自分を裁く必要も、罪の意識を感じることも、罰する必要もない。ベストを尽くしていれば、あなたは思いこみをし、物事を個人的に受け取り、言葉の間違った使い方をしても、気分良くしていられる。

いつもベストを尽くすことで、あなたは変容に熟練する。実践こそが、熟練者を生み出すのだ。ベストを尽くすことで、あなたは熟練者になれる。あなたがこれまで学んだ全ては、繰り返しによって学んだものである。あなたが言葉を使うことに熟練したのも、繰り返し練習したからである。実践、行動こそ、違いを生み出すのである。

もし、個人の自由、自己に対する愛をを求めることにベストを尽くせば、あなたは、いずれそれを発見するだろう。それは白昼夢にふけることでも、瞑想のなかで夢を見ることでもない。あなたはありのままのあなたである自分を尊敬しなければならない。自分の体を尊重し、身体を楽しみ、愛し、身体を清潔にし、癒やさなければならない。自分の身体が楽しめるような運動をすることである。それは、あなたの身体に対するプジャではある。それは、あなたと神との間に交わされる会話である。

あなたの身体は、神の顕現であり、もし、あなたが身体を敬えば、全ては変わってくる。自分の身体のあらゆる部分に愛を与えることを実践する時、あなたは愛の種を心に植え、それが育つ時、あなたは自分の体を本当に愛し、敬位、尊重することになる。

あらゆる行動が、あなたが神を敬う儀式となる。その次のステップは、あらゆる感情、思想、信念とともに神を敬うことである。その際、そうした感情が正しいか、間違っているのかに関わりはない。あらゆる思考は、神とのコミュン(交わり)となり、自分を裁くことも、犠牲者にすることもなしに、またゴシップの必要も、自分を虐待する必要もなしに、夢を生きることができるのである。

これら4つの約束は、変容の技術を熟練する道をまとめたものである。それはトルテックの道である。あなたは、地獄を天国に変える。この地球の夢が、あなたの個人的な天国の夢に変容する。変容のための技術の知識はそこにある。それは、あなたに使われるのを待っている。あなたは、ただ4つの約束を実践し、そこに秘められた意味と力を尊重すればよいのである。

こうした約束を尊重するためにベストを尽くせばよい。あなたは今日、この約束を自分と結ぶことができる。私は、この4つの約束を尊重することを、自分で選択するのだ、と。あまりにも簡単で、合理的だから、子供にもわかる。しかし、あなたは強い意志を持たなければならない。この約束を守るという意志を持たなければならないのである。なぜか。どこへ行こうと、私たちの道は障害だらけだからである。誰もが、この新しい約束に対する私たちの決意を邪魔しようとする。また私たちの周りの全てのものが、私たちに約束を破らせようと罠を仕掛ける。問題は、4つの約束以外の全てが、この地球の夢であることである。それは生きており、非常に強いものである。

したがってあなたは、自分の人生を生きるためにこの4つの約束を守るための、偉大な「戦士」にならなければならない。あなたの幸福、あなたの自由、あなたの人生の全てがそこにかかっているのである。「戦士」の目標は、この世界を超越することであり、地獄から脱出して、2度と戻らないことである。トルテックが私たちに教えるように、報酬は、人間の苦しみの経験を超越することであり、神の顕現になることだある。これが報酬なのだ。

こうした合意を守るためには、力の全てを使う必要がある。私は、最初から完全にできるとは思わなかった。何度も失敗した。しかし失敗するごとに立ち上がって、歩み続けた。そしてまた失敗し、また歩み続けた。決して、自分を憐れんだりはしなかった。私は自分を憐れんでいる暇がなかった。失敗したとしても、私は強い。私は十分に頭が良い。私にはできる。そう言って歩き続けた。失敗しては歩き続けるうちに、次第に合意を守ることが簡単になっていった。しかし、初めは非常に難しく、困難であった。

したがって、失敗しても、自分を裁いてはいけない。自分の「裁判官」に、あなたを「犠牲者」にする喜びを与えてはいけない。自分に厳しくしなければならない。もう一度、自分と約束するのだ。「よし、確かに今、私は、言葉を正しく使うという約束を破った。もう1度、始めよう。私は今日1日だけでも、正しく言葉を使い、個人的に受け取ることをやめ、思いこみをせず、そして、ベストを尽くす。」

約束を破ったら、またその次の日、またその次の日に始めればよい。最初は、確かに難しい。しかし日が経つにつれて易しくなっていく。やがていつか、あなたは自分が4つの約束とともに、自分の人生を支配していることに気がつくだろう。あなたは自分の人生がいかに変容したか、自分でも驚くに違いない。

あなたの自分に対する尊敬と愛は、毎日育っていく。私にできたのだから、あなたにもできる。未来に思い煩うことはない。今日に注意を向ける。そして現在に留まるのだ。今日という1日を生きること。

4つの約束を守ることにベストを尽くすのだ。やがて、そのことが、とてもたやすいことになっていく。今日が、新しい夢の始まりなのだ。


4つの約束 ドン • ミゲル • ルイス
より抜粋、要約




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