トルテックの自由の道③ 「戦士」の訓練 : 自分のおこないを支配すること 〜トルテックの教え〜 



毎朝、私たちは、1日で費やす一定の量の心、感情、身体のエネルギーを持って目覚める。もし私たちが朝から怒ってしまうと、怒りの感情で、大量の力を消費してしまう。感情がそのエネルギーを消耗してしまえば、私たちには、自分の人生を変えるための、あるいは他の人のためのエネルギーは、もはや残っていない。

あなたは、自分が感じている感情に従って、世界を見ている。怒っている時は、あなたの周りのもの全てが間違っており、なにもかもうまくいかないように感じる。

あなたは、天気さえ気にくわない。晴れていようと、日が照っていようと、気にくわないのである。寂しい時には、周りのなにもかもが寂しく、泣きたい気持ちになる。木々を見れば、悲しくなり、雨を降るのを見て、なにもかも寂しいと思う。あまりにも傷つきやすく、いつ、誰が飛びかかってくるのかわからないから、自分を守らなければならない、と感じる。あなたは、周りの誰も、そしてなにも信用できないと感じる。なぜなら、あなたは周りの世界を、恐怖の目で眺めているからである。

人間の心は皮膚のようなものだ、と想像してみよう。健康的な皮膚な触れれば、とても気持ちがよい。あなたの皮膚は知覚のために作られており、触れた感じは素晴らしい。さて今度はケガをして、皮膚に傷があり、そこが感染しているて想像してみよう。感染した皮膚に触れると、とても痛いので、保護しようとするだろう。あなたは、触れられるのを楽しむことができない。なぜなら、とても痛いから。

さて全ての人間はこの皮膚病を持っていると想像してみよう。誰も、ここでは触れ合うことができない。なぜなら、とても痛いから。誰もがこの傷を持っている。そこで感染が普通に感じられる。痛みも普通のことのように感じられる。私たちは、これが当たり前のことだと思っている。あまりにも痛いので、お互い抱きあうこともできない。そこで、私たちはお互い、十分に距離を取りあって暮らすことになる。

人間の心は、まさにこの皮膚病の模写に当てはまる。人間は皆、感染した傷で覆われた感情の身体を持っている。あらゆる傷が、感情的な毒で感染している。それは私たちを苦しめる感情の毒、憎しみ、怒り、羨望、悲しみなどである。不正な行動が、心の傷を開き、私たちは感情的な毒で対応してしまう。何が公平で、何が不公平な行動かに関して、私たちのもっている信念のためである。心は、飼い慣らしのプロセスによって、非常に傷つき、毒に満たされている。そのため誰もが、傷ついた心をノーマルなものとみなしている。しかし、本当はノーマルではないのである。

私たちは、うまく働かない地球の夢を持ち、人間は恐怖と呼ばれる病で、精神的に病んでいる。この病気の症状は、怒り、憎しみ、悲しみ、羨望など人間を苦しめる全ての感情である。恐怖があまりにも大きいと、私たちの合理的な心は働くことができなくなる。精神病的な行動が起こるのは、心が非常に脅かされ、傷があまりに苦痛であるため、外界との接触を失ったほうがよいと思われるような場合である。

こうした心の状態を病気とみなすならば、そこには治療の道もある。私たちは、もう苦しむ必要はない。そのためには、まず感情の傷口を開いて、毒を取り出し、傷口を完全に癒すための真実の道が必要である。どのようにして、このことをおこなうのか。私たちは、私たちに間違ったことをした人たちを許さなければならない。彼らが許しに値するからではない。私たちは、自分を愛しているため、不正に対して支払い続けたくないと望むのできるある。

許しこそ、癒される唯一の道である。私たちが許すことを選ぶのは、自分たちに慈悲を感じるからである。私たちは、恨みを洗い去り、こう宣言する。「もう十分だ。私は、自分自身を裁くような『裁判官』であることをやめる。私は、もはや自分を打ちのめしたり、虐待したりすることはない。私は、これ以上、『犠牲者』を続けることをやめる」。

自分自身を許せば、あなたの心にある自己拒絶は終わる。自己受容が始まり、そして自己に対する愛が強く育って、最後にはありのままの自分を受け入れることができるようになる。これは自由な人間の始まりである。許しこそが鍵となるのである。

誰かを許すと、その誰かに会った時、感情的な反応が起こらない。そのことで、その人を許したとわかる。誰かの名前を聞いても、感情の反応が起こらない。誰かが、かつてはあなたの傷であったところに触れても、もはや傷つくことはない。そのことであなたは本当に許したとわかるのである。

真実は、鋭いナイフのようなものである。真実は、痛いものである。なぜなら、それは嘘によって覆われている全ての傷口を開いてしまうからである。そうでなければ、癒されることはない。こうした嘘を私たちは、否定のシステムと呼んでいる。否定のシステムを持つことは良いことである。それは私たちの傷口を覆い隠して、なお私たちを活動できるようにするからである。しかし、傷や毒をもはや持っていない時には、嘘を続ける必要はない。否定のシステムは、必要なくなる。なぜなら、健康な心は、健康な皮膚と同じように、傷つくことなく、触れることができるからである。心がきれいであれば、触れられることは心地よい。

多くの人の問題は、感情のコントロールが効かないことである。感情が人間の行動をコントロールしているのであり、人間が感情をコントロールしているのではない。感情のコントロールが効かない時、私たちは言いたくないことを言い、したくないことをする。正しい言葉を使い、精神的な「戦士」になることが大事なのは、このためである。私たちは、感情をコントロールすることを学ばなければならない。そうすることで、恐怖に基づいた合意を変えるのに必要な個人的な力を持つことができ、地獄から脱出して、自分の天国を作り出すことができるのである。

どのように「戦士」になるのか、「戦士」の特徴は、世界中、ほとんど同じである。「戦士」は、気づきの力を持っている。気づきが非常に重要である。私たちは、自分が戦いの最中にいることに気がつく。そして心の戦いは訓練が必要なのである。それは兵士の訓練ではない。「戦士」の訓練である。外側から、何をしろ、するな、という訓練ではない。それは、何があろうとも自分自身であるための訓練である。

「戦士」はコントロールの力を持っている。それは他人に対するコントロールではない。自分自身の感情、自分自身の自己に対するコントロールである。感情を抑圧した時に、コントロールを失うのである。「戦士」と「犠牲者」の大きな違いは、「犠牲者」は抑圧し、「戦士」は抑制することである。「犠牲者」は抑圧する。彼らが感情を見せることを恐がり、言いたいことを言うことを恐がっているからである。抑制することは、抑圧と同じ事ではない。抑制するとは、感情を維持し、それを早過ぎもせず、遅すぎもしない、適切な時に表現することである。「戦士」は、自分の感情を完全にコントロールし、それ故、自分の行動をコントロールするのである。



4つの約束 ドン • ミゲル • ルイス
より抜粋、要約




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